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平幸紀さんへの質問 その3

 投稿者:せきたに  投稿日:2019年10月14日(月)14時00分9秒 M014010082032.v4.enabler.ne.jp
返信・引用
   日本語は前後の言葉の違いによってその後の文脈が変わってしまうことがありますが、落合由美さんの証言は意味深長なところがあるように思います。


 「このルートを飛ぶときに、もっとも近くに見えるときと同じくらいの近さでした。」

 「このルートでは」という言葉を羽田から伊丹に向かう便というふうに解釈してしまうと、もっとも近くに見えるときというのは伊豆半島のあたりになるかもしれませんが、

 「このルートでは・・・」という言葉の前に、

「窓の外のやや下方に富士山が見えたのです。」
「左の窓の少し前方に見えた富士山は、すうっと後方に移動していきます。

と記されています。

 救命胴衣をつけ終わり、他の乗客たちが衝撃防止姿勢を取られたのを確認してすぐに落合由美さんは「56C」の席に戻られたと語られているのですが、「56C」という座席は窓側ではなく、通路側です。通路側の座席から座った状態で窓の外のやや下方に富士山を見ることはできないはずですから、通路側の席から富士山を下方に見ることができるのは席に戻り、まだ座る前の立ち姿勢の状態であった可能性が高いのではないかと思います。落合さんが席に戻られたとき、隣の窓側の乗客は既に衝撃防止姿勢を取られていたと思われるので通常は見えにくい窓の外の下方が良く見えたはずです。そして、状況から察するに落合さんが立ち姿勢で富士山を眺めておられたのはほんのわずかな時間であり、あまり間を置かず席に座り、席に座った後は速やかに衝撃防止姿勢を取られたのではないでしょうか。

 奥多摩上空では富士山を左手にして飛行していることは確かですが、富士山からの距離が60kmも離れたそのような場所から富士山をほんのわずかな時間だけ眺めたときに、「窓の外のやや下方に富士山が見えたのです。」「左の窓の少し前方に見えた富士山は、すうっと後方に移動していきます。富士山が窓のちょうど真横にきたとき、私は安全姿勢をとって、頭を下げたのです。」という表現にはならないはずです。

そのようなわけで、「このルートを飛ぶときに、もっとも近くに見えるときと同じくらいの近さでした。」
という落合由美さんの言葉は、富士山の近くを飛ぶルートのことを言われているのではないかと感じました。富士山の真上を飛んだり、至近距離を飛ぶ国内便が複数あるようですから、そういったルートの中で、落合由美さんご自身が経験されていたフライト経験の中でもっとも近くに見えるときと同じくらいの近さで富士山を通過したというふうに考えると腑に落ちるのです。

 次に、平幸紀さんは私の質問への回答の中に以下のように記されています。

 「落合さんは、衝撃防止姿勢をとる前、急降下の前に、その光景を目撃されてますね。すなわち、このときは北上を始めたあたり以降ということになります。
仮に、大月よりも前だとすれば、衝撃防止姿勢はとっておらず、ライフベスト着用に回っていたはずです。
よって、証言に従えば、その順序から導き出されるのは、急降下の直前、18:50前後と考えられます。」


 私も衝撃防止姿勢を取られたのは間違いなく北上してから後のことであるという認識でおります。

 そこで平幸紀さんへの新しい質問になりますが、私は大月上空に至ったときには既に衝撃防止姿勢を取っておられたはず、という認識でいたのですが、平幸紀さんは「仮に、大月よりも前だとすれば、衝撃防止姿勢はとっておらず、ライフベスト着用に回っていたはず」と仰っていただいておりますが、その根拠を教えてください。

 それと、急降下がはじまった時刻帯についてですが、私は御巣鷹山に墜落の30秒ぐらい前の18:56前後のことではないかと考えていました。平幸紀さんは急降下の直前が18:50前後と考えておられることがわかりましたが、どうして急降下がはじまったのが18:50という時刻帯になるのでしょうか?
 
 
 

Re: 平幸紀さんへの質問 その2

 投稿者:平幸紀  投稿日:2019年10月13日(日)20時57分2秒 softbank126114134214.bbtec.net
返信・引用
  せきたに様

落合さんは、衝撃防止姿勢をとる前、急降下の前に、その光景を目撃されてますね。
すなわち、このときは北上を始めたあたり以降ということになります。

仮に、大月よりも前だとすれば、衝撃防止姿勢はとっておらず、ライフベスト着用に回っていたはずです。
よって、証言に従えば、その順序から導き出されるのは、急降下の直前、18:50前後と考えられます。

近くに見えた、というお話ですが、これは通常の航空路を視野に入れる必要があります。
123便の飛行経路図にもありますが、羽田発大阪行きの便は、伊豆半島近くを通るルートを飛びます。
このとき富士山にもっとも近づくポイントと、落合さんがみたと思われる地点を奥多摩あたりと仮定して比較すると、同程度であるとわかります。
問題は、落合さんの他の路線の乗務状況がわかりませんが、富士山にもっとも近づくルートを飛ぶのは、例えば羽田高松便のように、大阪よりも西へ向かうルートです。福岡便も含まれます。
しかし、あくまで「含まれる」にすぎず、どの路線との比較対照の結果、証言されたものかは推測にすぎません。

よって、当職は奥多摩付近での富士山の目撃であると考えます。
 

北上した航空機

 投稿者:池田昌昭  投稿日:2019年10月12日(土)07時56分37秒 a-fhn3-03174.noc.ntt-west.nsk.ne.jp
返信・引用
   隣近所など助け合って、台風に備えよう。


 8月12日午後6時半ごろ、静岡市付近上空。

 咀嚼すると、どうも2機いたようである。

 1機はJAL123便で、『事故調報告書』137ページ「JA8119飛行経路略図」で

は、午後6時半ごろは静岡県焼津市の手前(静岡市)を北上していることになっているが、しか

し実際には、焼津の少し先の藤枝市上空で目撃されている。

 JAL123便は、高度をギリギリに下げ、北に転針したように思える。

 次にもう1機、どうも航空機がいたようである。

 その航空機は、「ジャンボ機」「ジャンボ機のような大型機」で、静岡県焼津市の手前、静岡

市東部久能山から見て北の方向に、向かったと思われる。

 この航空機は何か。『事故調報告書』のどこを見ても、この航空機のことは出ていない。しか

もこの航空機は想像するに、急速に離脱したように思え、急いで現場を離れようとした心理が読

み取れる。

 その理由は。

 いつも当たらぬ予想では、善い理由ではない。

 悪いミッションを民間機JAL123便に対して、行った感じがしてならない。

 異変を受けたJAL123便機長のとった行動の要は、何だったか。

 高度を下げて、異変をみんなに知らせる。
 

平幸紀さんへの質問 その2

 投稿者:せきたに  投稿日:2019年10月11日(金)20時55分38秒 M014010082032.v4.enabler.ne.jp
返信・引用 編集済
  平幸紀さんへ

 私からの質問に丁寧に回答していただきましてありがとうございます。

 頭を雲の上に出し、四方の山を見下ろして、かみなりさまを下にきく、ふじは日本一の山。

 日本の山の中では圧倒的な高さでそびえ立つ富士山を称える歌ですが、富士山の特徴の一つは飛行機に乗っているときに雲の上からでもはっきりと確認出来ることにあるのではないかと思います。

 事故当日、非番の客室乗務員であった落合由美さんが富士山を左手下側に見ながら通過していったと語られているので、JAL123便の高度は富士山頂の3,776メートルよりも上を飛行していたことが明らかです。

 平幸紀さんがご指摘の通り、フライトレコーダーに準拠すれば、富士山を左手側にしながら飛行したのは大月上空を360度のループ飛行をしているときと横田基地のあたりから長野県川上村に向かうところの2カ所が考えられます、ということですが、いずれも富士山との距離が遠すぎるのではないでしょうか。

「そして、そのとき、窓の外のやや下方に富士山が見えたのです。とても近くでした。このルートを飛ぶときに、もっとも近くに見えるときと同じくらいの近くでした。夕方の黒い山肌に、白い雲がかかっていました。左の窓の少し前方に見えた富士山は、すうっと後方に移動していきます。富士山が窓のちょうど真横にきたとき、私は安全姿勢をとって、頭を下げたのです。」

 落合由美さんの証言では富士山が窓の外のやや下方に富士山が見えたと語られているので、富士山からの水平距離に関しては至近距離を通過していたことになるのではないでしょうか。

 そして、「とても近くでした。このルートを飛ぶときに、もっとも近くに見えるときと同じくらいの近くでした。」と続くのですが、

 「このルートを飛ぶときに」という言葉についてですが、羽田から伊丹に向かうルートだけに特定してしまうと、そのルートでは富士山を下方に見て飛ぶということはないでしょうから、「このルートを飛ぶときに」というのは、富士山の周辺を通過するすべての国内便と解釈すべきで、落合由美さんご自身のそれまでのフライト経験の中で「もっとも近くに見えるときと同じぐらい」であったということになるのではないでしょうか。

 ネットで「飛行機から富士山を撮影」というキーワードで検索すると富士山を下方に見ながらのアングルで撮影されたと思われる写真がたくさん出てきます。富士山の至近距離を通過する飛行ルートが複数あるのではないですか。

 一方、大月や横田基地から長野県川上村に向かうところだといずれも富士山までの距離が30キロメートルぐらいはあり、日本一の山を上から見下ろすようなアングルで眺めることは出来ないと考えますが、これについて平幸紀さんはどのように考えられるでしょうか?
 

トリウムthorium232

 投稿者:池田昌昭  投稿日:2019年10月11日(金)07時57分11秒 a-fhn3-03174.noc.ntt-west.nsk.ne.jp
返信・引用
   台風に備えましょう。

 青山透子著『日航123便墜落 遺物は真相を語る』中の機体残骸「塊」を組成分析した表を

見ていて、アレッと思った。

 それは何かといえば、同書133ページの機体残骸「塊」組成分析から、トリウム(Th)

232が、ホンの微量ながらも検出されている。

 トリウムは、放射性の核種であり、中性子照射によって核燃料ウラン233に変化する。

 JAL123便機体構造の材料「塊」組成測定をしたのは、いつだか定かではないが、想像す

るに前掲書の出版が2018年夏なので、それ以前の2016年くらいか。

 JAL123便機体構造の材料組成測定では、機体材料の「塊」から、ウラン238も同時に

検出されている。

 これは何を意味し、御巣鷹の墜落現場で、一体何が起きたのか。

 JAL123便貨物として搭載されたラジオアイソトープだとする説もあるが、果たしてそれ

は正しいのか。
 

(CAP)「これはだめかもわからんね」

 投稿者:池田昌昭  投稿日:2019年10月10日(木)07時29分37秒 a-fhn3-03174.noc.ntt-west.nsk.ne.jp
返信・引用
   (CAP)「これはだめかもわからんね」は、『事故調報告書』巻末「CVR筆記録」中の、

午後6時46分33秒にある。

 JAL123便機長はなぜ、「これはだめかもわからんね」と発したのか。

 私はJAL123便操縦クルーが、米軍横田基地へ着陸できなかったことを意味していると思

います。

 国民すべてが願っていること。

 それは安全に運航もしくは運行、運転をし、乗客を目的地に無事届けること。

 安全運航です。
 

(CAP)「おもたい」&「あーおもたい」

 投稿者:池田昌昭  投稿日:2019年10月 9日(水)14時06分18秒 a-fhn3-03174.noc.ntt-west.nsk.ne.jp
返信・引用
   『事故調報告書』巻末「CVR記録」。

 午後6時44分05秒;(CAP)「おもたい」。

 午後6時44分43秒;(CAP)「あーおもたい」。

 何が重かったのか。

 機体下部貨物室に、夏休みの荷物を積み過ぎて、操縦桿が重かったのではない。

 答えの一つは、油圧が抜け、操縦桿が重かった。しかし他の要因も考えられる。

 それは何かといえば、「遠隔操縦」で、その「遠隔操縦」をJAL123便が受けていたので

はないだろうか。

 更に、考えは進む。

 「遠隔操縦」をした側はたぶん、米軍横田基地へのアプローチコースに乗った、JAL123

便の意図を察知したことを予想できる。

 しかも、「遠隔操縦」を民間機に行うには、相当の準備が必要だったと推測される。

 

Re: 平幸紀さんへの質問

 投稿者:平 幸紀  投稿日:2019年10月 9日(水)13時35分7秒 softbank126114134214.bbtec.net
返信・引用
  > No.2301[元記事へ]

せきたにさんへ

 追記します。
 前述の理由から、機長の「マニュアルだから」という発言は、オートパイロットのない状態で、手動で飛ばさなければならないことを意味しています。
 オートであれば、姿勢の維持は簡単です。指定した方位に合致すれば、自動的に姿勢が回復します。
 しかし、マニュアル操作ですと、機体を水平に戻す動作が必要になります。
 これは、垂直尾翼がきちんと存在していれば、簡単な話です。横方向の安定性は、垂直尾翼に依存していますから、これがなければ、姿勢維持は容易ではありません。
 また、操縦輪によって動翼が駆動するための油圧がなければ、これもまた簡単に戻りはしません。
 結果、操縦輪を戻しても機体が戻らないことは想像に難くないですし、簡単に呼応する機体状態ではありません。

 次に、遠隔操縦があったとして、そもそも遠隔操縦を行うに足りるだけの油圧は存在しません。
 また、エルロンその他の動翼は、電動で動きません。
 結果として、フラップその他の動翼は動きますが、DFDRには、パイロットの操作によらないオルタネート展開可能な動翼の動きは記録されていません。

 これらを踏まえて、遠隔操縦の事実は否定されます。

 仮に、遠隔操縦があったとして、
①JA8119号機だけに設置してあったのか
②その理由は何か
③その操縦操作はどこから行い、どのような手段でおこなっていたのか
という疑問が生じますが、遠隔操縦のためには、フライトシステムに設置する必要があります。地上からの操作を反映させるためには、当時の通信技術では、無線通信以外はあり得ません。では、そのために必要な通信量はどれくらいになるのか、算出されておりません。
 フライトシステムに設置したとして、操縦輪などが、同時に挙動するようにしなければなりませんが、一体いつのタイミングで起動したのか、また、それが123便の飛行方向にかかわらず操縦し続けることができるとしたら、どれだけ巨大な通信設備が必要になるのか。

 正直申し上げまして、荒唐無稽かと思われます。
 

Re: 平幸紀さんへの質問

 投稿者:平 幸紀  投稿日:2019年10月 9日(水)13時25分5秒 softbank126114134214.bbtec.net
返信・引用
  > No.2301[元記事へ]

せきたにさんへのお返事です。

 まずは、油圧全損についてお伝えします。
 操縦油圧は、配管の破断により全損していますが、「すべて一瞬で抜け切る」わけではありません。
 ガソリンタンクに穴が開いた状態をイメージしていただければわかるとおもいますが、水圧によってゆっくりと抜けていきます。
 各動翼にはある程度残存しますし、すべて抜けきるまでは操縦可能な状態にあります。

 また、操縦そのものは不能ではありません。
 操縦輪に動翼そのものの重さがかかりますが、これを上回る力で操舵すれば、操縦することは可能です。
 しかし、かなり重たいので、クルーが「重たい」と言っているのはこのことだと思います。
 31分、操縦輪が右方向に傾いていることは、DFDR図-2からも読み取れます。
 もっとも、かなり振動していたようですが。

 動かそうとしても動かない、しかしどうにかして操縦したい。
 そういう際に、クルーはエンジンパワーを不均衡にすることで旋回し、パワーの増減で機体の上下角が変えられることを会得します。
 よって、油圧が全損したとしても、エンジンコントロールは可能ですから、これにより飛行していたと考えられます。

 落合さんの「富士山が左手に」発言ですが、私も以前矛盾がある、と考えて調べてみたのですが、大月上空を旋回中、また、18時47分頃の、西への転針時に、左手に見えることになり、その後ゆるやかな右旋回をしていますから、後方に消えていったとすれば、このいずれかであると考えられます。
 

平幸紀さんへの質問

 投稿者:せきたに  投稿日:2019年10月 7日(月)20時44分52秒 M014010082032.v4.enabler.ne.jp
返信・引用
  平幸紀さんへ

 JAL123便墜落事故に関して、事故調査委員会発表の事故原因について、相模湾上空における突然の圧力隔壁損壊説はいくつか考えられるうちの一つの仮説であったというふうに聞いています。

 遠隔操縦という発想は、常識的には、もしも遠隔操縦ができていたのなら、なぜ、遠隔操縦側によって安全な場所に着陸するよう誘導しなかったのかといった根本的な疑問が生じるので、通常は良識に反する腑に落ちない発想ではないかと考えております。

 ただ、遠隔操縦というのは万一ハイジャックが行われた場合、パイロットたちの操縦を無効にして遠隔操縦側の操作を優先するシステムとして開発されるべきものであり、またそういうシステムになっていないとパイロットが操縦する飛行機を別の操作で遠隔操縦などはできないはずです。

 公式発表では相模湾上空における異変によって油圧機能が失われ、ダッチロールが始まったとされていますが、遠隔操縦側が意図的にパイロットたちの油圧機能による操縦を無効に出来たと考えるならば、物理的に油圧機能が失われていなかったとしてもパイロットたちにとっては物理的に失われているのと同じことになるのではないかと考えます。

 東伊豆の河津のあたりでジャンボ機は右方向に急旋回したという目撃情報が複数ございますが、それは油圧機能が失われたであろうとされている地点よりも明らかに後のことになるはずですが、すべての油圧配管が物理的に損傷した状態では油圧機能を使った操縦は不可能なわけですから実は油圧機能は失われていたわけではなくて、無効にされた上で遠隔操縦側されていた可能性があるのではないか、という発想が浮かぶわけです。

 東伊豆での右旋回についてはいろいろな可能性が考えられるのではないかと思います。
 操縦士の操作によって右旋回できたという可能性もあるかと思いますが、それならばどうして副操縦士が必要以上のバンクを取ってしまったのかが腑に落ちません。機長が「そんなにバンクを取るなって」と修正を指示されているわけですから、機長の指示であるとは思えません。そうかといって、機長の「戻せ」に対して副操縦士は「戻らない」と答えていることから、バンクの取りすぎは副操縦士独自の判断で行ったとも思えません。

 機長の「バンクそんなに取るなって」の後には「マニュアルだから」という言葉が続いています。「マニュアルだから」という言葉からは、そのとき機長はまだ機体に何が起きたのか自覚されていなかったと思われ、油圧機能が失われているといった異変に気が付かれていた後であれば、バンクの取り方を修正するための指示として、「マニュアルだから」という言葉にはならなかったはずです。

 そんな絶妙のタイミングで機長の「ライトターン」の声に呼応するように遠隔操縦側がパイロットに気づかれずに右旋回の操作をすることができるものでしょうか?

 もっともなご指摘でございますが、結論からいうとそのとき油圧機能が失われていたわけではないと考えています。操縦士の操作で右旋回したのかもしれないとも考えます。しかし、油圧機能が失われ、垂直尾翼の半分以上が吹き飛んでいる状態思ったような右旋回が出来るものでしょうか。そして、バンク角度については機長の指示でもなければ副操縦士の自主的な判断でもないと考えられますから、遠隔操縦の可能性があると思うのです。

 遠隔操縦できたのならばなぜ横田基地へ誘導する必要があるのか?
 このご指摘ももっともでございますが、遠隔操縦側はJAL123便は遠隔操縦によってではなくあくまで異変発生後は迷走飛行の上、墜落したということにする必要性があったため、ある程度パイロットたちによる操縦を寛容したということではないでしょうか?

 遠隔操縦側はパイロットと航空管制とのやりとりをすべて傍受できていなければ、迷走飛行を装って御巣鷹山まで誘導し、そこで墜落させることは出来ないのではないかと考えます。

 平幸紀様に一つ質問をさせていただきます。
 生存者の落合由美さんは墜落したときのフライトいおいて、非番の客室乗務員さんだったようですが、落合由美さんの証言によると、相模湾上空で異変が起きた後、酸素マスクや救命胴衣の装着を手伝いながら、全員が救命胴衣を装着した頃、富士山が左手やや下側に見え、後方に移動していく富士山を見ながら安全姿勢を取りました、となっていますが、富士山を左手下側に見ながら後方に移動していく富士山を見られたということは、その後、大月上空に至っていることを考えると、富士山の東側を北方向に通過したということになり、フライト・レコーダーの記録では富士山の西側を通過していることになっているので、落合由美さんの証言と明確に異なるわけですが、このことについてどのように思われるでしょうか。
 

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