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日航ジャンボ123便ソ連自衛隊核攻撃惨事

 投稿者:アッキードF19で小沢一郎を撃退希望  投稿日:2018年10月19日(金)21時13分16秒 KD106133092223.au-net.ne.jp
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  https://blog.goo.ne.jp/adoi/e/b57915d5c28495971f89b829b0d61866
にもあるように、日航ジャンボ123便ソ連自衛隊核攻撃惨事では、塚原教授は搭乗しておらず、台湾客家地下原発屋に取り込まれてしまった。トロン17 名も台湾客家に取り込まれてしまった。 こうした重要技術陣をユダヤアメリカが攻撃して云々といったロジックは、台湾客家の騙しであった。
代理で乗せられた南朝鮮人の方々数十名は、123便が不時着した際に都合の悪い人物として集められ、日本の埼玉県警察のお巡りさんらに殺害され、十石峠近くの大野沢上流部に今も埋設されたままである
 
 

JAL123便後部圧力隔壁は、壊れてはいない。壊れたのは御巣鷹の尾根に不時着し、攻撃された時。

 投稿者:池田昌昭  投稿日:2018年10月17日(水)09時03分10秒 a-fhn3-07191.noc.ntt-west.nsk.ne.jp
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   当時の支配者が黒幕で、事故調が無理矢理従わされた機体後部圧力隔壁は、当日午後6時24分過ぎの相模

湾上空では破壊されてはいなかった。垂直尾翼の一部はある原因により、相模湾に落下はしたが。

 圧力隔壁が破壊されてはいなく、空気の吸出しがなかった証拠は、生存者の証言で分かる。

 すなわち、発生した「白い霧が流れるような空気の流れは感じませんでした」(『墜落の夏』文庫版、71

ページ)。

 では、相模湾上空で起きたことは何か。

 その答えがまさに、事故調『報告書』93ページ「図―16 CVR再生波形とそのサウンドスペクトグラ

ム」にある。

 この波形図と、2000年8月に各テレビ局で公開されたボイスレコーダーの「ボアン・ボアン・ボアン」

という音を考え併せれば、機外での核爆発が導き出される。

 空中での核爆発はすぐには収束しなく、核反応が空気中の分子と衝突しながら、暫く続き、事故調図はまさ

にそのことを正確に示している。

 この時に発生した音、「ドーン、グォッ、グォッ」は、機外での異変をまさに示している。

 その核爆発音は、相模湾上空を飛行中のJAL123便の近くの空中で起き、たぶん今まで聞いたことのな

いような音、ある意味では地獄のような音だったと思える。


 

事故報告書の嘘

 投稿者:憂国人  投稿日:2018年10月16日(火)13時37分36秒 softbank126108011141.bbtec.net
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  JAL123便の飛行航路については最近の杉江弘氏や堀越豊裕氏の著書にも掲載されているが

これは事故調査報告書から転載したと思われる。

これに依ると123便は伊豆半島を横切り焼津市上空を通過、北上し富士山の西側を通過し

大月付近で大きく旋回して御巣鷹山に向かったことになっている。

これは真実では無く意図的になされた情報操作だ。

123便は富士山の東側を飛行し相模湖付近を東に向けて飛行したのは歴然だ。

根拠は生存者落合由美さんの次の証言だ。

彼女は機内左席(58C)に着席していたことを踏まえて証言を読んで欲しい。

「窓の外のやや下方に富士山が見えたのです。 左の窓の少し前方に見えた富士山は

すうっと後方に移動していきます。」(吉岡忍著 墜落の夏 より)

これは明らかに富士山東側を飛んでいたことを示している。

又、副操縦士は「相模湖が見えています」とボイスレコーダーに音声を残している。

この2点のみでも東方横田基地方面に機首を向けていたのが解る。

池田昌昭氏は当初からこのことに気付き、著書に書かれているのだが今だに報告書の

間違った情報が流れているのは困ったものだ。

この一例を持ってしても事故報告書を信頼して読むことは出来ないと痛感します。
 

JAL123便機内に侵入したキノコ雲

 投稿者:池田昌昭  投稿日:2018年10月13日(土)08時58分6秒 a-fhn1-8213.noc.ntt-west.nsk.ne.jp
返信・引用
   吉崎博子さん証言
 「ドーンと、ものすごい音がして眼がさめました。同時に白い煙がバアーッと入ってきます」(吉崎博子「地獄からの生還」『文藝春秋』1985年10月号)。

 落合由美さん証言
 「『パーン』という音と同時に、白い煙のようなものが出ました。かなり濃くて、前のほうが、うっすらとしか見えないほどです。私の席[池田註;58C]のすぐ前は、それほど濃くはなかったのですが、もっと前の座席番号「47」「48」[池田註;機体後部]あたりのところが濃かったように見えました。

 ふと見ると、前方スクリーンの左側通路にスチュワーデスが立っていたのですが、その姿がかすかに、ボヤーと見えるだけでした。

 その霧のようなものは、数秒で消えました。……白い霧が流れるような空気の流れは感じませんでした。すっと消えた、という感じだったのです。匂いはありませんでした」(吉岡忍『墜落の夏』文庫版、70~71ページ)。

 川上慶子さん証言
 飛行機の中で 「左後ろの壁、上の天井の方がバリッといって、それで穴が開いたの。それと一緒に白い煙みたいなのが、前から入ってきたの」。

 3人のうち2人が、「白い煙」が「入ってきた」と証言している。

 午後6時24分過ぎ、伊豆半島東海岸河津町上空を高度3,500メートルで飛行していたJAL123便機外の近くで核兵器が炸裂し、そのキノコ雲がJAL123便機内に、ホンの一瞬だが、入ったことを示している。

 この時、機体右側最後部から3列目の乗客であった小川氏が、右側窓外に拡がるキノコ雲頂部を撮影していた。(『週刊現代』2010年8月14日号参照)。

 

(無題)

 投稿者:2027  投稿日:2018年10月12日(金)20時18分25秒 sp49-97-97-183.msc.spmode.ne.jp
返信・引用
  当時小学校2~3年だった自分は延々とテレビで流れていたカタカナの名前一覧の記憶が残ります。

色々な陰謀論?がありますが思うことはこれぐらい
①上空でミサイルに狙われた・・考え難い(飛行機の高度とスピードで狙い撃ちは現実的ではない)
②山地に誘導されて撃ち落とされた・・こちらは可能性としては①より有り得る(街中に墜ちた時のことを考えれば)
 

青山透子氏についての疑問点

 投稿者:池田昌昭  投稿日:2018年10月11日(木)13時34分38秒 a-fhn1-8213.noc.ntt-west.nsk.ne.jp
返信・引用 編集済
    青山透子氏が、JAL123便事件真相解明に力を尽くしていることを高く評価します。

 ただこれまでに、青山透子氏の著作で、気になる点がいくつかあるので、それを述べます。

 1.なぜ青山透子氏は、本名や経歴のすべてを国民の前に明らかにしないのか。

 2.第1作『日航123便 墜落の新事実』(河出書房新社、2017年)は、青山透子氏本人が書いたものと思われるが、第2作『日航123便墜落 遺物は真相を語る』(河出書房新社、2018年)は、見ようによっては一部、違う人が書いているように思われる。

 3.JAL123便事件のすべてを勉強するというのは酷であるが、JAL123便事件を考える際の重要証言であるアントヌッチ証言や、横田基地への着陸態勢に、なぜ青山透子氏は触れていないのか。

 4.青山透子氏自身は、育ちが良い反面、人に誘導されやすい、一途な人ではないか。
 

写真に写っている濃く渦巻くキノコ雲の頂部

 投稿者:池田昌昭  投稿日:2018年10月10日(水)07時39分8秒 a-fhn1-8213.noc.ntt-west.nsk.ne.jp
返信・引用
   8月12日午後6時24分~25分。

 高度約3,500メートル付近の相模湾上空を飛行中のJAL123便右側で、核爆発のキノ

コ雲が立ち昇り、そのキノコ雲の頂部が濃く渦巻いているのを、JAL123便の機体右側最後

部から3列目の座席の乗客が、写した写真が今に遺る。

 その写真の正面には、JAL123便と同じ高さで、約70キロ先に富士山が写り、その手前

の機窓外には、明らかに周辺の雲とは違い稠密で、濃く渦巻いている雲=キノコ雲の頂部が写っ

ている。

 

日航ジャンボ123便ソ連自衛隊核攻撃惨事

 投稿者:アッキードF19で小沢一郎を撃退希望  投稿日:2018年10月 6日(土)21時06分24秒 KD106133095044.au-net.ne.jp
返信・引用
  御巣鷹の尾根スゲの沢2j付近は、スゲの沢1444mにtu22バックファイヤーが落ちていたところでもあります。
埼玉県警察の警察官らに虐殺された170名前後の死体の山ができていたところです。虐殺して死体を積んでいる初期の報道写真には 、埼玉県警本部交通課の巡査も、ばっちり写っちゃっています。このおまわりさんの話では、三国峠から埼玉県警で入ってたくさんの乗客乗員を虐殺したとのことです
 

「ダイナマイトの発破のような振動を観測した」

 投稿者:池田昌昭  投稿日:2018年10月 6日(土)08時49分4秒 a-fhn1-8213.noc.ntt-west.nsk.ne.jp
返信・引用
   長野県川上村設置の東京大学地震研究所地震計が、8月12日午後6時56分30秒に地震に

よるものとは、異なる振動を捉えていた。(『北陸中日新聞』1985年8月21日付夕刊)。

 この振動は、ダイナマイトの発破のような振動だった。

 この振動こそ、JAL123便に対して炸裂した小型核兵器の炸裂時の振動だったのではないか。

 この振動は、約5秒間大きな揺れが続き、10秒近く細かな振動が尾を引く大きな波だった。(『日航ジャンボ機墜落 朝日新聞の24時』文庫版、97ページ。

 なおこの直前に地震計には、微小な振動を同地震計が記録している。

 この直前の揺れは、群馬・長野県境三国山系高天原山裏「蟻が峠」上空で、炸裂した核兵器の

炸裂時振動をあらわすと思われる。

 午後6時56分30秒、「蟻が峠」上空で核兵器攻撃を受けながらも、JAL123便は飛び

続け、最終的には午後7時ごろ、御巣鷹の尾根に衝突した。

 この間、約4分間JAL123便は、必死に飛び続けたことが分かる。

 

「ワァー」と低い声

 投稿者:池田昌昭  投稿日:2018年10月 3日(水)08時07分5秒 a-fhn1-8213.noc.ntt-west.nsk.ne.jp
返信・引用
   JAL123便が、午後6時43分過ぎ米軍横田基地着陸寸前だったことは、次のことでも明らかである。

 1.午後6時40分、高度を下げるため、車輪をオルタナティブで出す。

 2.機内アナウンスで、「予告しないで着陸する」(事故調『報告書』CVR記録午後6時48分。(実際は午後6時43分ごろ)。

 3.午後6時43分、4基あるエンジン出力を絞り、着陸態勢である。(事故調『報告書』DFDR図―4)。

 4.客室乗務員が遺した手帳にも、不時着への用意が書かれている。

 5.乗客の遺書で、「18:46 着陸が心配だ スチュワーデスは冷せいだ」。

 6.横田基地にかなり近い市町の住民や、横田基地への着陸コースを飛んでいるJAL123便を目撃。西武球場上空でもJAL123便が低空を飛行して行くのを目撃。

 しかし、午後6時49分、「ワァー」というコックピットの低い叫び声が残されている。(実際は、午後6時46分ごろと思われる)。

 この「ワァー」という、叫び声の原因は何か。

 それは、米軍横田基地への着陸を強制的に阻止された時に、発した叫び声と思われる。

 この叫び声の原因を解く記述が、『日航ジャンボ機墜落 朝日新聞の24時』文庫版、39ページにある。

 「政府が明らかにしたところによると、東京・横田基地周辺の住民から『火の玉が飛んでいくのを見た』との情報が寄せられた」。

 横田基地に着陸しようとしていたJAL123便に対して、「火の玉が飛んで行った」のである。

 この「火の玉」とは、何か。
 

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